私がインドネシアのジャカルタに着いたのは夜遅く。
空港で若いポーターのお兄ちゃんがやたら寄ってきて
私の荷物を持って行こうとする。 あらら・・荷物が。
そう、チップがお目当て。その当時だと何十円くらいでした。
来た当時は、夫君の上司達がインドネシアの環境に慣れないのではと
心配していたのですが、まあ、馴染むのが早いというか🍺があれば
どこでもOK。ついたその日から🍺を飲み、上司達も唖然 😯
1か月で6kgも太ってしまった。あちゃ~ 🙁
夫君は単身で1年前にインドネシアのジャカルタへ赴任。
私も行くことになった時、最初に夫君が言ったことを今でも覚えている。
「どこにでも自由にいけるから、好きなことしていいよ」
私はそれを信じていざインドネシアへ。
着いたその日は夜だったので気が付かなかっけど、
朝、起きてビックリ仰天‼ 大きな大きな御殿のような一軒家。
(この写真はイメージ)
ドアには鍵が3個、窓には鉄格子、塀にはバラ線とガラスの破片が
埋め込んである。
外が見えない様になっていて、まるで刑務所。
ここで私は暮らしていくのかと絶望的に・・・
会社が雇っているメイドさんと会話が成り立たず、
ジェスチャーで。(インドネシア語が全く分からない?)
夫君と上司達は、朝6時に出勤して帰りは夜の9時過ぎ。
それから夕飯。夕飯作りをメイドちゃんと一緒に。
料理苦手な私は苦痛だった。
夜遅くに食べて、🍺飲んでたら、そりゃ太るよね。
実は、🍺を飲むことしか楽しみがなかった。
一人で出歩いてはダメ。どこに行くにもメイドちゃんと一緒。
買い物に行くのに、バジャイ(オート三輪)という乗り物で。
平日は、この乗り物でお買物。
後で日本人の奥さんがバジャイに
乗るなんてあり得ないことを知る。
日本食スーパーの前には、大勢の男性達が立って入り口を見ている。
怖い! この人たち何なの? 視線が怖すぎ!
土、日曜日は、上司達と昼からホテルや日本食店で🍺付きランチ。
夜は、ブロックM(歌舞伎町のようなところ)で飲み会。
いつも連れていかれ、女の子を指名することに。これがシステムらしい。
この当時はバンバンボトルがサービスされ、私はガンガン飲んだので
重宝がられていました。
しかし、後で日本人の奥さんが出入りするなんてあり得ないことを知る。
その当時はNHK worldもなく、インドネシア語か英語のTVを観ていた。
インドネシア語を勉強しながら、日本のお友達やお世話になった
方々へ手紙をせっせっと書いておりました。
🍺の飲める刑務所にいますよと・・・
日々、鉄格子を観ながらの生活は辛かったが、
土日だけはシャバに出た感じで、気持ち良かった~ 🙂
まだまだ体験談は続きます。
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